概要

絵画と感慨

絵画とは、基本的には、線や色彩をもちいて、物の形や姿を平面上に描き出したものである。このような説明では不十分なことがある。別の説明をすると、絵画とは、絵具などの特定の描画材料を用いた描画を、意図的に特定の支持体に対して行うことによって成立したものである。「絵画」は例えば板や布に描かれた油彩画やテンペラ画、フレスコなどで描かれた壁画を指す。紙に描かれた水彩画などは含める。だが、木炭や鉛筆で描かれたもの(デッサン)は含めない。

現代において絵画の概念の設定にも困難がつきまとう。理由のひとつは新しい素材や技法の登場による。 パステルや色鉛筆で描いても良さそうであるが、これは「ドローイング」(drawing)として絵画とは区別されるのが一般的だ。切り絵や貼り絵、コラージュはどうなのか。パブロ・ピカソの1912年の作品『籘張りの椅子のある静物』には籘張り糢様の布が画布に直接貼り付けられている。興味深い例として、イタリアのルーチョ・フォンタナの『空間概念』( 1950年代)がある。これは画布に切り目が入った作品である。1960年代後半のイタリアのアルテ・ポーヴェラ、同じころの日本の「もの派」の作家たちも、さまざまな素材を作品に用いている。もの派の作家たちの中には、通俗的には絵画と看做されない形態の作品を絵画として制作していると主張している人もいるが、その作品が絵画と看做されているとは言い難い。

美術作品において水彩画は、透明水彩の絵具で描かれたもののみを指すことが多い。不透明水彩は本来ガッシュ(グワッシュ)と呼ばれる絵具を指すが、日本では不透明水彩は小学校などで使われる学童用の水彩絵具も含められることが多い。学童用の水彩絵具はマット水彩とも呼ばれ、本来の透明水彩と不透明水彩の中間的な性能でどちらの用法にも対応できるよう考えられている。しかし、安価にするために性能の低い顔料を使ったり、アラビアガムの代わりにデキストリンを使ったりしているため、長期の保存性を前提とした美術作品の制作には向かない。

水彩を成熟し独立した絵画のメディアとして確立するのに三人のイギリス人に功績があったとされる。「イギリス水彩画の父」と呼ばれるポール・サンドビー (1730-1809) 、大きなサイズのロマン派的またはピクチャレスクな水彩風景画の先駆者トマス・ガーティン (1775-1802) 、そして水彩画に最高の洗練と完成された作品としての地位を与え何百という卓越した歴史、地誌、建築、神話の分野の絵画を水彩で作製したジョゼフ・マロード・ウィリアム・ターナー (1775-1851) である。彼は段階を追って水彩画を作成した。最初に濡れた紙を薄い色でおおまかに色面分けした後、ウォッシュやグレーズによってイメージを整えるという手順で、手工業的工場なみの効率性で大量の作品の製作を行うことが可能だった。このため、その類の初めてのものとも言える彼の個人的ギャラリーの売り上げも一役買って億万長者になることができた。ターナーやガーティンの同時代人で非常に才能があり重要な作家にはジョン・バーレイ、ジョン・セル・コットマン、コプリー・フィールディング、サミュエル・パーマー、ウィリアム・ハヴェル、サミュエル・プラウト等がいる。スイスの画家のルイス・デュクロスもサイズの大きい、ロマン派的な水彩画で広く知られている。

絵画とピアノ

絵画といえばやはり芸術的な作品が目に浮かぶ。そして中世ヨーロッパにおいては、この芸術作品と双璧をなしていたものが音楽である。特にピアノを使った演奏や作曲は多くの著名な音楽家が携わり、そして今も残り続ける名曲が生み出され続けてきた。その中でも絵画と音楽、または学術や芸術までも天才的な域に達した人物もいる。もちろんかの有名なレオナルド・ダ・ビンチであるが、未だ彼の功績を超える人間はこの世に存在していないといっても過言ではない。なぜこれだけ文明が発達した中で、そのような数奇な人物が生まれないのか、もしくはこれだけ発達した現世だから生まれ無いのだろうか。


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